退院後1カ月の生活と心
私の夫は私の産後に合わせて
長期休暇をとっていたので
すぐ実家に帰らず1週間は自宅に帰りました。
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1人の時間が大好きな私でも
産後は外に出る気にもならず
家事も主人が頑張ってくれました。
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初めて自宅で沐浴したり、
寝るときはラッコ寝しかしないので
24時間肌身離れない(=´∀`)人(´∀`=)
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何か出来る事と言ったら、
•ラッコ寝してるときにケータイを見る。
•ネットで海外ドラマを見る。
泣くから途切れ途切れだけど…笑笑
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やらなければならなかった事は、
産後のお休み中は、
今後の仕事についても
やりたいことがあって、
•業者との打ち合わせ
(TEL)
•新築予定の自宅の打ち合わせ
(来てもらう)
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何をしても疲れる( ・∇・)
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それ以外はcherryの
おっぱい オムツ 抱っこ
の3テーマ!
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そんな中、
たまたまだけど
難聴や小耳症の人達が
身近にいたことを知る。
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その人達に
今すぐ会いたい気持ち
だったけど、
やはり今は動けない。
どんな人達かと言うと、
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1人目
片耳難聴の女性
アメリカの大手商社に勤め、
その後アメリカで結婚 出産 、
趣味でやってたカメラで
育児しながらカメラマンになった人。
ちょーリア充。
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2人目
片耳小耳症の男性
大学病院の研修医、
自分の体験をもとに医者を目指し、
cherryが手術する予定の病院で
働いている人。
頭良くて頑張り屋のイケメン。
きっとcherryの手術を
担当してくれるわね。
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3人目
両耳の聴力が弱い女性
ある大きな病院の
メンタルカウンセラー、
幼稚園の頃は聾学校と
普通幼稚園に通い、
小学校から大学までは
特に普通と変わらない
生活をしていたそう。
可愛くてお友達がたくさんの
可愛い女性。
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私が過ごした30年と
娘が一緒じゃなくて
当たり前なのに、
“私と同じことを
この子は出来ないのだろうか…”
“私と同じことを
この子は感じられないのだろうか…”
多分不安のすべてはそこだった。
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親と子供を別の人として
考えていなかった。
この子の幸せを考えたら
私の人生観は
あまり関係のない事でした。
その人生観だって
今まさに
大きくチェンジしているのに。
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上に書いた3人は
私より不自由な部分が
多かったはずなのに
私よりもずいぶんと
リア充そうだ!笑笑
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これまでも人を深く知って
価値観が変わりました。
色んな人に会って来たつもり
だったけど、
その人達の 今 しか
知らなかったのだ。
I know nothing.
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産後 入院中
入院中は大忙し。
みんなそうだと思うけど、
私が出産した病院では
母乳育児を推奨していて
母乳指導の時間が多かったです。
その他もたくさん指導の時間や
アロママッサージの時間
など友人との面会もセカセカ
するような日程でした。
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出産前は
充実した入院中の行事が
とても楽しみだったので
サービスが充実したこの病院に
決めたのだけど、
いざ産後に楽しめるかというと…笑
正常じゃない時は楽しいことを
楽しめないタイプでした(p_-)笑
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それでも合間には小耳症の検索をして
主人に気持ちをぶつけ、泣き、
またぶつけ、泣き 笑
たまに我慢し 笑
今思うと ナイーブ母さんウザいなー
ってくらいでした。
そんな私と主人が面会時間オーバーしてまで
居てくれたので本当にありがたかった。
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cherryはというと、
左耳以外は何の異常もなく
毎日少しづつ目が開いてきたり
数日でとても人間らしくなってきた。
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成長するとともに愛しさはますもので
これからこの病気にどう向き合うのかを
毎日考えるようになった。
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まだ体が憔悴していて
持ち前の完全なるポジティブでは
なかったけども
泣くたびに心が強く変わっていた。
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よく考えてみたら、
私は今で言うADHDの傾向が強い子供
だったので
対人関係がうまくいなくなり
心に傷を負うことが本当に多かった。
二十歳過ぎてもよく会社員の時は
人とソリが合わなくなる事が悩みでした。
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でも、今は美容関係で経営をしていて
毎日お客様と会う生活。
楽しく過ごしているんですよね。
障害だった部分が特技に変わり
経営までし始めているんだな。
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この子ももしかしたら
親が知らないところで
たくさん傷つくのかもしれないけど
その障害を乗り越えた時には
それが特技になるのでは?
と考えが変わってからは
不安だったこの子の未来が
一気に楽しみへとかわりました。笑
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私の単純で極端なところも
多分ADHD特有なのかも。笑
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記事を書いている今は
この気持ちから6ヶ月ほど経ちますので
ちょっとお気楽に書いてしまっている
のかもしれないけど
私の場合は割と切り替えが早かったです。
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出産前に見ていたビジネス系のYouTubeで
鴨頭嘉人さんの講演を見ていたのも
この気持ちの切り替えに
繋がったかもしれません。
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多分ほとんどの小耳症のお母様達も
切り替えは大丈夫だと思うのですが
もし、
立ち直れてない方がいらっしゃいましたら
#鴨頭嘉人 @kamogashirayoshihito さんを
検索してみてください。
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心のコントロールがうまくいくように
なります(^-^)v
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cherry出産直後
出産直後は私の母がLDR前で待っていたので
主人の次にcherryにご対面。
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私はたった今
子供を産んで
強い母になったはずなのに
赤ちゃんの耳が小さい事が
とても不安で
母の顔見るとホッとしたというか、
ママーどうしたらいいのー?
って気持ちだった。
甘えた気持ちが出てしまうくらい
赤ちゃんって儚く繊細で
絶対守らなければならない
と思う存在だった。
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こんなにこんなに小さな
可愛いこの子を
私はどうやって
守り抜いたら良いのか
ほんとうに不安な気持ちだった。
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産まれて 幸せ と感じたのは
LDRから病室に戻った時、
なんとなく意識がいつも通りに
戻ってからだった。
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これは 小耳症 有無に関係なく
母親ならみんなが思う感情
なのかもしれないです。
私の場合はそれにプラス
小耳症という聞いたこともない
病気を持った娘を見て
もっと強く不安な感情が
出たのかもしれない。
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その後、
初孫をとっても楽しみにしていた
主人の両親に主人から連絡。
まだその病名を知らない私達。
「産まれた。左耳が奇形で産まれた。」
と主人が送ったLINEが見えた。
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お父さんお母さんは
どう思うのだろう。
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到着後、
cherryの誕生をとても喜んでくれた。
その後私はお母さんにLINEをした。
内容は、
自分を責めた文章で、
「私のせいでcherryに
障害が出てしまってごめんなさい」
のような。
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今思うと、
cherryに申し訳ない文章だった気がする。
感情がコントロールできず、
わからない事だらけで
「ごめんなさい」しか出てこなかった。
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ご挨拶
はじめまして☆
Snowです!
Instagramやその他ブログなど、
小耳症について投稿している
お母様達の記事をたくさん
見せてもらいました。
まだ0歳の娘の許可なく
ブログを始めて良いものか
迷いましたが、
本日、市内の 大学病院 で
CT検査 をしたのをきっかけに
不安に思っている同じ立場の
お母様達にも共有できたらな
と思いブログを開設しました(^ ^)
娘 Cherry は平成30年3月3日 の
“耳の日” 生まれで、
きっとこの子は将来
同じ病気の子達に 勇気 を与える
人になるだろう と思い
先に母 Snow から発信して
いきたいと思います(^^)v
お伝えしたいことや
私も知りたい事がたくさん
あります。
生まれた日のことから順に
少しずつアップしますので
よろしくお願いします(*^ω^*)